脳深部刺激療法(DBS)体験記 手術篇 その7

(その6からの続き) 私は手術が終わる前に全身麻酔でまた意識を失ってしまいました。目を覚したときにはもう集中治療室のベッドの上でした。大きな手術だったにもかかわらず、術後の痛みはほとんど有りませんでした。担当の看護師の方は非常に細やかな気配りの出来る方でした。そのお陰で、私は絶対安静だったにも関わらず、集中治療室での時間を非常に快適に過ごす事ができました。

その看護師の方が「何か聞きたい音楽はありますか」と聞いてくださったので、私は宇多田ヒカルの歌をかけていただくようにお願いしました。彼女の歌とYouTubeの広告が、集中治療室の機械の電子音と共に一晩中繰り返されましたが、私は全く気になりませんでした。私は特に彼女が母親を亡くした後で作った曲が大好きなのです。

宇多田ヒカルが切ない声で母親との思い出を歌う声を聞きながら、私は数年間に自分の人生がこの病気によってどのように変わってしまったかについて、一晩中夢と現実を行き来しながら思いを巡らせていました。私は社会的成功とは縁遠い人生を送ってきましたが、この病気のおかげでいよいよ決定的にそのような成功とは縁が切れてしまったな、という実感がありました。破壊効果のせいもあって、私は久しぶりに病気による痛みを気にせずにベッドでゆっくりと休むことができました。が、新しく与えられたこの命をどのようにして使うべきなのか、という新しい問いについては、私は全く答える準備ができていませんでした。かのゲーテは「人は生きてきる限り悩み続けるものだ」と言ったそうですが、全くその通りでした。

手術の翌日に病棟で撮った写真

手術の翌朝に集中治療室で目を覚ましたときには、手術による破壊効果の営業もあって、私はすっかり元気になっていました。午前中に集中治療室から神経内科の病棟に戻ったのですが、朝食に間に合わなかったのでがっかりしたぐらいです。午後にはリハビリのために廊下を歩き回って、病棟のスタッフが驚いていました。確かその日のうちに先生はガーゼと絆創膏を取ってしまったように記憶しています。これには流石にわたしも驚きました。

その後2、3日病院に滞在した後で、家に帰されました。この段階ではまだ破壊効果が続いていたのですが、これが無くなってからまた入院して本格的に脳深部刺激療法を開始する、とのことでした。実はこの刺激の調整が非常に大変だったのですが、これについては次の「調整篇」で書かせていただきたいと思います。(調整編に続く)

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