知られざる苦しみ・声なき声

知られざる苦しみ

この病気に罹って私が一番衝撃を受けたのは、世の中がいかに苦しみに満ちているか、ということでした。また自分自身がその苦しみに対していかに無自覚に過ごしてきたか、ということにも本当に驚かされました。私は一応パーキンソン病の医学的な特徴についての知識は持ち合わせていました。しかし、大学院で使っていた教科書にはパーキンソン病がどれだけ大変な病気か、ということについては一切書いてありませんでした。

現代のシシフス

具体的な例を挙げます。脳深部刺激の手術を受ける前の私は、毎日朝起きたときに飲んでいたL-DOPAの効果が切れていて、大変な思いをしていました。1分かけても自分自身の手が5センチも動かないのです!

それでも薬を飲まないといけないので体を無理矢理動かすのですが、これはなかなかの苦行でした。身体中がバラバラになるような痛みと、これから自分の人生は一体どうなってしまうのだろうかという強烈な不安と絶望に襲われながら、枕元に置いておいたはずの薬箱を暗闇の中で手探りで探すのです。

これでちゃんと薬が飲めればまだいいのです。が、手が震えて薬を床にぶちまけることもしばしばでした。これには本当に参りました。まさしくシシフスの神話のような苦行です。このようなことを毎朝繰り返すことがどれだけ大変か、私は考えたこともありませんでした。こんなことは心理学や医学の文献のどこにも書いてありませんでした。現代の科学は人間の実存的な苦しみに対して全く無理解である、と痛感させられました。

一方通行

が、よく考えてみたらそれもそのはずなのです。大体そこまで症状の進行した患者が回復するなんてことがそもそもあり得ないのです。このような体験を報告できるということ自体が僥倖なのです。その事実に気づいたときには、私は本当に愕然としました。

私にとって更に衝撃的だったのは、この自分の体験は全く特別なことではない、ということでした。それどころか、このような体験をしている人はそれこそ数えきれないぐらいいるのです。ある程度動けるようになってから世の中を見渡してみると、かなりの頻度でパーキンソン病だと思われる人を見かけるのです。この方達が私と同じような苦痛を体験しているのだ、と思うとそれだけで眩暈がしました。

折れ曲がった体

私が脳深部刺激の手術を終えてまだ入院していた頃の話です。リハビリのために病棟を歩き回っていたら、病室にいた車椅子に座っていたおばあさんを廊下から見かけました。その方が私の目に留まったのは、完全に上半身が折れ曲がったまま空中で固まっていたからでした。どうやら歯ブラシを病室の棚にもどす途中で体が動かなくなってしまったようなのです。

行くも地獄、帰るも地獄

私は自分の経験から、この方が重度のパーキンソン病の患者だということがすぐに分かりました。体幹の筋肉が機能せず、上半身を支えることが出来ていないのが一目瞭然でした。また、この方が大変な痛みと苦しみの中にいることを直感的に理解しました。このように動作の途中で体が動かなくなるのは、非常に危険なのです。姿勢を維持しないと、バランスを崩して大怪我をしかねないのです。しかし、そもそもドーパミンが不足しているので、そう簡単にはいきません。姿勢維持には大変な苦しみを伴う努力が必要になるのです。

私はこのままでは拉致が開かないと思い、その方の歯ブラシを棚に戻しました。そうしたら、今度はその方が「みず・・・」とおっしゃいました。水差しを口に近づけると、ゆっくりと水を飲まれました。その方がそんな状態でどれだけの間苦しんでいたか、想像しただけで目眩がしました。

ゴミの山

その後、その方の事が気になったので、ちょくちょく様子を見に行きました。ある日病室に行くと、あり得ない光景が眼前に広がっていした。その方の部屋はナースステーションから廊下を挟んだところに位置していました。その出口のところに医療廃棄物のゴミ袋が山積みになっています。ゴミ袋が病室から丸見えでした。これには本当に驚かされました。

病室の前に置かれたゴミ袋の山。これを見た患者がどれだけ苦しみに耐えなければならなかったかと思うと心が痛む。
ゴミの山

私がその病室の患者だったらすぐに片付けてもらうところです。が、その方は意思疎通が難しかったのか、結局翌日の朝までゴミ袋はそのままでした。私はこれはあんまりだと思いました。たまたま運良く知り合いの方が病院のスタッフとして働いていました。そこで、その方に連絡してゴミ袋を片付けてもらうことにしました。

ささやかな復讐

しかしながら、それだけでは私の怒りはまだ収まりませんでした。コロナの第6波の真っ只中で、病棟のスタッフも対応に追われて大変忙しそうでした。これでは責めるわけにもいきません。

結局私は病棟を抜け出して売店に行きました。そこでドライフラワーを買って、その方の病室に持っていきました。そのときに「見る方はちゃんと見ています。諦めないでください」などと言ったように記憶しています。私はなにかその方に特別なことをしたかったのです。

その日は相変わらずあんまり反応がありませんでした。が、その次の日に病室に様子を見に行ったら、さらに驚きました。その方が不自由なはずの体をこちらに向けたのです。さらに「ありがとうございました」とハッキリおっしゃったのです。これには仰天しました。

Sound Observer

「観音」、もしくは「観世音菩薩」の英訳は”Sound Observer”です。これは非常に含蓄に富んだ訳です。観音様というのは広く世の中を見渡して衆生の苦しみと助けを求める声に常に耳を傾けている有難い方だ、という話を以前聞きました。また、お釈迦様が自分の生まれ育った城を出て初めて病気や老い、死、またそれらに伴う耐え難い苦しみを目の当たりにされたときに出家を決意したという有名な逸話があります。私はこれらの逸話の本当の意味を、この患者さんを通じて初めて理解しました。「衆生無辺誓願度」という誓いの重さを、この衝撃的な体験を通じて理解したのです。

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外部リンク

観音菩薩 (Wikipedia)

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