若年性パーキンソン病DBS体験記 手術篇 その2

(その1からの続き) この投稿では、私がDBS手術を受ける決断に至った過程について報告しています。特に2021年の初頭に体験したパニック障害に焦点を当てています。

“A brain surgery? No way!”

私が最初にDBSのことについて知ったのは2014年でした。パーキンソン病の診断から間もない頃です。脳に電極を埋め込む治療法があることを文献で見つけました。しかし、当時の私には経済的な余裕は全くありませんでした。カリフォルニアの大学院で心理学の勉強をしていて、自分と妻の生活を支えるのに精一杯だったのです。当時住んでいたサンフランシスコのベイエリアは、物価の高いことで世界的に有名でした。今から考えると、こんな病気を抱えながらよく生活できたものだと感心します。

日本への帰国

それから数年経って、病気もかなり進行しました。そのときに当時の主治医にこの治療を勧められました。しかし、実際に手術を受ける踏ん切りはなかなかつきませんでした。手術のことを考えるたびに、殺人的なアメリカの医療費のことが脳裏をよぎりました。そのうちに、仕事が続けることさえ難しくなってきました。私も妻も当時住んでいたバークレーの町が本当に大好きで、二人ともできることは全てやりました。が、結局2020年11月に断腸の思いで日本に帰国しました。

浦島太郎

日本に帰国してとりあえず実家に転がり込みました。それからすぐに慌てて新しい主治医を探しました。しかし、久しぶりの日本は新型コロナのパンデミックの真っ只中でした。その結果、どの病院でもスタッフは対応で忙殺されていました。結局、新しい主治医を見つけるのに約2ヵ月かかりました。これは、受け入れ先の病院のスタッフの普通では考えられないような好意のおかげです。このことについては感謝しきれません。

「え、この薬、日本で手に入らないんですか?!」

しかし、薬の調整を待つ間は苦しい日々が続きました。この苦痛の原因のひとつに、アメリカにいた時に飲んでいた薬の一部が入手出来なかったことが挙げられます。特に寝る前に飲んでいた遅効性のL-dopaの錠剤がなくなってしまったのは痛手でした。日本で認可されていないとの説明を受けました。このせいで、寝ている途中で完全に薬が切れてしまい、寝返りも出来なくなることがしばしばでした。真っ暗闇の中で今まで経験したことのない痛みで目がさめる、ということが毎日のように続きました。

パニック障害

パニック発作に苦しんでいたときに使っていた折りたたみ式のベッド。上体が起こせるので、非常に便利。
パニック発作に苦しんでいたときに使っていた折りたたみ式のベッド。上体が起こせるので、非常に便利。

しまいには、夜寝る前に毎日のようにパニック発作が出るようになってしまいました。とにかく平たいベッドで寝ようとするたびに、ものすごい恐怖に襲われるのです。横になるたびに、巨大な穴に突き落とされるような気がしました。脈が速くなって、汗はびっしょり。めまいに吐き気もありました。まるで典型的なパニック障害の症状の見本市でした。これにはさすがにまいってしまいました。この頃は「本当に明日の朝に生きて目を覚ますことができるのかしらん」などといつも寝る前に自問自答していました。ここで気を抜いて生きる希望と意志を失なったら、本当に奈落の底に引きずり込まれかねないと思ったものです。(その3に続く)

外部リンク

パニック障害 (Wikipedia)

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